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Interview

インタビュー・テキスト・編集 矢島由佳子

レーベルスタッフから「今年デビューする新人アーティストです」とLMYKを紹介され、届いた「Unity」の音源を再生したとき、最初の数音から鳥肌が立っていた。その鳥肌は曲を再生している4分間ずっと身体を覆い、音の渦が自分を取り巻く中で地面から5mmくらい浮いている感覚になった。そしてすぐに「ぜひともインタビューをさせてください」と返信を打ったのだ。
霊歌が持つような声・コーラスワークの神秘性と、現行の(ドメスティックではなく世界的な)音楽シーンで鳴っているビートミュージックの美しく新鮮な融合が、その鳥肌の起因だろう。LMYKがデビューする2020年は奇しくもクレイジーな年になってしまったが、世界中の人々が救い・祈り・癒し・赦しを求める時代にそれらを心に宿してくれる音を鳴らし、悲哀を少し滲ませながらもそっと言葉をこぼすように歌うLMYKの音楽は、今を生きる聴き手の身体にじんわりと染み込んでいく。(テキスト:矢島由佳子)

―小さい頃から音楽が好きだったんですか?

そうですね。父親がドイツ人、母親が日本人なんですけど、二人ともいわゆる「ヒッツ」を好きで。父はマライア・キャリー、Boyz II Men、ホイットニー・ヒューストン、母は松田聖子さんとかを聴いていたので、小さい頃から自然と耳に入っていたと思います。学校に入ってからはThe BeatlesやCarpentersと、Spice Girls、Backstreet Boysなど流行ってるものを聴いていました。あと、V6の「愛なんだ」がすっごく好きで、当時8cmシングルを買いました。今思うと、玉置浩二さんの曲だから余計に惹かれたのかな。楽器は、6歳頃からピアノのレッスンに通っていて。それは無理やりやらされていた感じだったんですけど(笑)。そのあと小学校3年生の頃、打楽器に惹かれて「もっと暴れることをやりたい、とにかく叩きたい」と思って、音楽教室でドラムを習い始めたんです。学校が忙しくてやめていた時期もありましたが、高校生になってもドラムはやってました。だから今曲を作るときも、ビートには自分なりにこだわりを持ってると思います。

―他人と口を利かない時期があったとか。それはいつ頃?

4、5歳。インターナショナルスクールの幼稚園に入ったときですね。声が出なかったんです。別に誰かになにか言われた覚えもないけど、自分の声は絶対に変だって決めつけていて、自分の声を聞かれたくないと思ってたんですよ。最初は日本語しかしゃべれなかったから、みんなが(英語で)言ってることも一切わからなかったですし。人が嫌いと思ったことはないんですけど、怖いっていうのはあったのかもしれないです。幼稚園の先生がすごく厳しくて、幼稚園は怖いところだって思ってたような気がします。だから家ではしゃべれたけど、学校とか外では全然しゃべれなくて。小学校に上がって環境も少し変わって、英語もわかるようになってから、徐々にしゃべれるようになったのかな。

―小学生の頃は、どんな子どもでした?

パッと思うのは、スポーツが好きでしたね。今も区の体育館とか公園のフープでバスケをやるくらい、バスケが好きです。きっかけは、父親と大型スーパーへ行ったときで(笑)。NBAのロゴが入ったカラフルなマーカー・鉛筆・定規のセットにすっごく惹かれて、そこからバスケが好きになったんです。ひとり遊びとか、ものを作るのが昔からすごく好きで、6〜8歳くらいのときには架空のバスケットボールチームの監督をやってました。チームごとに選手の名前を作って、自分で全部の役をやって、成績をつけて、ということを、そのマーカーを使いながらひとりでやるんです。あと小6とか中1のときには、架空のアイドルグループのプロデュースもやってました。自分で似顔絵を描いて、名前をつけて、性格も決めて、って。自分に「しか」作れないものに、すごくワクワクしていたんだと思います。

―曲を作り始めたのはいつ頃ですか?

高校生くらいから誰にも言わずに書いていたんですけど、1曲丸々書いたことはなくて。ニューヨークの大学へ進学して、3年生のときに「やっぱり自分は歌うのが好き」と思って、念願のボーカルレッスンに行き始めたんです。もっと歌が上手くなりたいな、極めたいなとはずっと思っていて。そこでボーカルの先生に「曲は書かないの?」って聞かれてから、少しずつ自分の殻を破っていきました。自分の癒しとして曲を書いてたので、自分の苦悩が曲の中に表れていたと思うんですけど、それを聴いた友達とかが泣き出したりして。それは予想外の反応で、そこから「もっと人に伝えていきたい」と思うようになったんです。一旦書き出してからはどんどん曲を書くことができて、すぐにライブもやって。湧き出てたんでしょうね。それまで溜めていたものがあったんだなって、そういう感覚はありました。

―どういう「苦悩」が曲に表れていたのでしょう。

外から与えられた苦しみというよりも、自分を縛りつけることですかね。殻を破れない、言いたいことが言えない、とか。自分の中では苦悩が続いていることが当たり前で。それが常に人生のメインだったと言ってもいいかもしれない。いろんなことが人生の中で起こるけど、まず「自分のこの苦悩はなんなんだ」っていうものと常に向き合っていて、そこから音楽を書いていると思います。

―その苦悩って、いつか解決することはあると思いますか?

……ある、と思います。解決なのか、受け入れなのか。違う思考なのか、違う見方なのか。みんなそれぞれ苦しみってあると思うんです。誰しも子どものときに色々なものを観察して吸収して、生物として生きていくための防御みたいなことを覚えると思うんですけど、それで抱え込むことがいっぱいあると思う。私、人間の行動の理由とか、自分の行動の理由を分析してしまうところがあって。だから、苦しみ自体がなんなのか、なにを持って苦しみというのか、苦しみの逆は喜びなのか……っていうこととずっと考えちゃうんです。「幸せを掴もう」「幸せを探す」とかってよく言うけど、どういう意味を持って幸せと言えるんだろう、とか。こういうことをずーっと考えてるので、曲を書いてると大体「またこれがテーマになってるな」って自分で思いますね。

―LMYKさんの音楽を聴いていると、霊歌やゴスペルに感じるような「祈り、救い、癒し、赦し」といった成分を感じるのですが、サウンドプロダクションだけでなく、そういった心や姿勢の部分からも生まれているものなのかもしれないですね。

あまり意識はしてないんですけど、客観的に見ても、いっつもそうなるなっていう印象があります。歌詞を書くときも「こういうフレーズ、他に使った人いるかな」って検索すると、大体聖書とかが出てくるんですよ。それは曲を作り始めた最初の頃からそうなんです。自分でも「あ、まただな」って思うことが多い。別にルーツや生い立ちにそういうことが関係あるわけではないんですけど、小さい頃からそういう音楽の力強さに惹かれてはいましたね。

―曲を書くという行為は、LMYKさんの中でどういうものなんですか?

英語で言うと「Cathartic」。カタルシス、って言うんですかね。なににも似てないですね、あの快楽は。曲を書き始めたときもそうですし、書いてる最中も、完成したときもそう。自分にとっての救いなのかもしれないです。それが、聴いてくれた人にとってもなにか気付きとか、みんな理由は違っても同じように苦しさがあるっていう、共感というか「自分だけじゃない」っていうことを感じてもらえたらなって。曲で解決策を提示しようとは思わないですけど、なにか伝わる感情がいい方向に持っていけたらいいなとは思います。音というもの自体が、人に力強く及ぼすものがあると思っているので。

―普段、曲はどうやって作っていますか?

昔は歌詞を詩のようにバーっと書いて、そこからギターを鳴らしながらメロディを作っていくことが多かったんですけど、最近は、好きなサウンドを探してトラックを作り出してから歌詞を書くことが多いですね。「Unity」は、初めて主旋律・メロディから作りました。

―聴かせていただいたデモ段階の曲には、俳句や百人一首を彷彿とさせるものもありました。俳句や百人一首に惹かれるのはなぜ?

そんなに詳しいわけではないんですけど、限られた文字の中で心情とか情景、季節感が出ていることに、いつも圧倒されますね。自分が曲を作るときも、絵を描く感覚があるかもしれないです。まず絵や映像が浮かぶし、歌詞を書いてるときも浮かんでいます。

そんなに詳しいわけではないんですけど、限られた文字の中で心情とか情景、季節感が出ていることに、いつも圧倒されますね。自分が曲を作るときも、絵を描く感覚があるかもしれないです。まず絵や映像が浮かぶし、歌詞を書いてるときも浮かんでいます。

―デビュー曲「Unity」についてお伺いすると、まずサウンドについてはどういうことを浮かべながら作りましたか?

私の中でアンビエンスとか、そういう音は大事にしたくて。それを取り入れつつ、アップテンポで明るく、希望がある、ということを主軸にしていました。自分で音楽を作るようになってからは、エクスペリメンタルとかオルタナティブな、枠を押し広げている人たちに惹かれるんですよね。それであってポップス、というところを自分も追究したいなと思っています。トラックも歌詞も、正しさにとらわれずに自由にやる、っていうのはいつも大事にしてるかな。だから最初は「変だな」って思われることもあると思うんですけど、でも自分の中で「これは間違ってるかもしれない」とかは考えないようにしてます。

―プロデューサーチーム「Jimmy Jam and Terry Lewis」(Boyz II Men、マライア・キャリー、ジャネット・ジャクソンなど、数多の世界的ヒットソングを手がける)とはどういう会話をしますか?

Jimmyさんは最初から、私が持ってるものをそのままどう活かすのかをいつも考えてくれている印象がありますね。すごく褒めてくれるんですよ。「ほんま?」と思って(笑)。すごく光栄ですし、自信にもなります。私が昔から好きなアーティストとか、今好きなアーティストをシェアしたりしていますね。

―最近好きなアーティストは?

ソランジュ、ジェイムス・ブレイク。あとYaejiも、声も素敵ですし、ビートもかっこいいし、韓国語もすっごく心地よくて好きです。日本語には母音と子音があるから、日本語だからこそ出てくるリズムがあると思っていて、日本語と英語を混ぜることで表現の幅がすごく広がるなと思っています。英語でも日本語でも同じ母音で終われば韻を踏めるから、それを考えるのも楽しいですね。「Unity」も作ってて楽しかったです、かなり悩んだけれども(笑)。

―歌詞に関して聞くと、映画「羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来」はいくつものテーマやメッセージが重なっている作品だと思いますが、LMYKさんとしてはどういうことを考えながら書き下ろしたのでしょう。

誰かひとりの目線というよりも、それぞれのキャラクターの目線ですね。どのキャラクターも自分の中で向き合ってるものがあって、愛情を持ってるからこそ、信じているからこそ戦っていると感じたので、それらを書けたらいいなと思いました。

―「愛」はLMYKさんの中で音楽を作る上で大事なテーマですか?

そうですね。自分でも書きながら気付き始めたことではあるんですけど、「また愛だなあ」とか思って。すべてのものの基盤というか……それを愛と呼んでいいのかわからないですけど。

―LMYKさん自身の「人生のモットー」って、なんですか?

英語で言うと「You are the universe」。人間一人ひとりが、宇宙そのものな気がして。私は子どもみたいな好奇心がもしかしたら人よりあるのか、未知とかわからないものに惹かれるんですよね。人間自体も未知に溢れてるじゃないですか。名前とか過去とかの人物像と、脳みそと、身体というものとは別に、「意識」というまだ解明されていないものがあって。だから人間も宇宙みたいだなって思うし、つながってる気がしているんです。あとは、「See it big, keep it simple」。日本語に訳すと、「大局を見れば至ってシンプル」でしょうか。何事も複雑にしがちじゃないですか。「自分はこういう人間でこうだから」ということにしがみついて狭く見てしまうときがあるんですけど、未知に溢れていてわからないことだらけの中、俯瞰してできるだけ離れたところから見ると、結局はシンプルなところに辿り着くんじゃないかなって。

―LMYKさんのそういった目線から見て、自身がデビューする2020年はどういう年で、どういう音楽が求められていると思いますか?

なにが本当に大切なのかを考えさせられるメッセージが込められた音楽ですかね。避け続けてきたことって、絶対に表面に出てくるじゃないですか。今年はそれなのかもしれないですよね。だから、それと向き合うような音楽が求められているんじゃないかな。……難しい質問ですね(笑)。

―今後はどういうアーティストになっていきたいですか?

音楽の追究としては、常にアイデアを拾って吸収して、今自分がかっこいいと思うものをどんどん作りたいです。まだリスナーと関わりがない状態なので、そこからまた受ける影響も出てくると思うし、それも楽しみですね。世界でやりたいという気持ちもすごくあります。文化によってものの見方や音楽のアプローチが違うと思うので、いろんな文化の人とつながって、発信して、という楽しさを、生きているなら味わいたいなって思いますね。

―国が違っても、人間が求めるものや感じることって、根底では共通しているなって思いますか?

結局はそうですよね。やっぱり音楽には言語を超えるものがあるじゃないですか。音楽と愛は、同じものかもしれないなって思います。